「マダム・クロード」について。
皆様こんにちは。求人部の田中です。
今回は、マダム麗奈が「日本初の高級デリバリーヘルス」として誕生する〝きっかけ〟となった「マダム・クロード」という女性について、少しだけお話をさせていただきます。
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1923年→フランスに生まれる。
1962年→39歳、友人〝ナディーヌ〟からパリの売春宿を受け継ぐことになる。
1977年→ジュスト・ジャカン監督による映画「マダム・クロード」制作
1996年→講談社から「男を虜にする愛の法則―パリ高級娼婦館女主人の告白」発売
2001年→光文社から「マダム・クロード愛の法則―パリ高級娼婦館女主人の告白」発売
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クロードは1923年にフランスで生まれ、幼少期は修道院で教育を受けます。
「レディは階段を一段飛ばしで上がりません。」
「レディは暑さを感じることはありますが、汗はかきません。」
「レディは常に靴を綺麗に磨いておかなければなりません。」etc.
こうして彼女は、修道院での規律正しい生活の中で、美しい女性になるための基礎を学び、淑女になるための心得を身につけながら成長していくのでした。
美しく成長した彼女は、冷静に状況を分析する能力に長けていて、「人がいつもお金を支払う用意があるのは、食べ物とセックスの2つだけ。」という真理を悟ります。
そして39歳のとき、転機が…。
友人の〝ナディーヌ〟が、パリで経営している売春宿を、バイタリティがあり交友関係が広いクロードに譲ることにしたのです。
宿を受け継いだクロードは、まず、「レディの美しさは完璧でなければいけない」として、正しいスキンケアの方法からファッション、身だしなみや作法、必要であれば美容整形にまで踏み切り、次々と洗練されたレディを育成。
レディたちも自らの価値を高めるために努力して、超一流の顧客たちが思い描く理想の女性像を体現していきます。
性的な欲求だけではなく、音楽や芸術、そして優れた知性とコミュニケーション能力で、上質なホスピタリティーを施し、全てにおいて顧客たちを満足させ続けることに成功。
やがて、「マダム・クロード」の噂は、ヨーロッパ全土にまで広がっていくことになるのです…。
クロードのレディたちの中には、トップモデルや女優の卵はもとより、外交官の令嬢もいれば、伯爵夫人もいて、その数はピーク時で500名以上。
一度の花代は、少なくとも1,000ドル以上でしたが、70年代まで世界中の大統領や政治家、各国の王たちを魅了し続け、好況を享受したのでした。
◆――クロードのリストに存在した、一部の有名な顧客たち。
・ジョン・F・ケネディ米大統領
・ギリシャの海運王「オナシス」
・リビアの最高指導者「カダフィ大佐」
・イランの「パーレビ国王」
・俳優の「マーロン・ブランド」etc.
最後に…。
私は、フランスで生まれて修道院で育った人物を、もう一人知っています。
ファッションデザイナーの「ココ・シャネル」です。
彼女もまた「マダム・クロード」同様に修道院で教育を受けていて、美しくなるための〝基礎〟を学んでいます。
修道院では厳しく躾けられたと思いますが、かえってそれが良かったのかもしれませんね。
〝躾〟という字は、「身につける美しさ」と書きます…。
美しさを身につけるために、「正しい躾を学ぶ」ということは、本来とても大切なことではないでしょうか。
以上、これからもマダム麗奈は、日本で唯一「マダム・クロード」の精神を受け継ぐ高級店として、皆様の期待に応えられるよう誠心誠意努めてまいります。