幼き日の夢と、
本物のラグジュアリーとの巡り合い

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私は東京の静かな住宅街で生まれました。両親は堅実な会社員で、特別裕福な家庭ではなかったけれど、家の中にはいつも温かい光が満ちていました。母の煮込み料理の匂いと、父の低く穏やかな声が日々の安心そのものでした。

幼い頃から「いつか自分の手で何かを創りたい」という夢を抱き、人とは違う景色を見たい、広い世界を知りたいという欲求を心の奥に持っていたのを今でもはっきりと覚えています。友人たちがアイドルや恋愛漫画に夢中になる中で、私はどこか現実離れした物語や映画の中の遠い国の風景に惹かれ、自分もいつかその舞台に立つのだと根拠もなく信じていました。

高校を卒業してすぐ、私は単身フランスへ飛び立ちました。家族にとっても私にとっても大きな挑戦でしたが、不思議と怖れはありませんでした。むしろ、言葉も文化も異なる土地で、ゼロから自分を築くことに胸が高鳴っていたのです。

パリの街並みは、私の想像を遥かに超えて美しかった。石畳の道、シナモンの香りが漂うパン屋、……どれをとっても詩の一節のようでした。やがて私は、世界的ラグジュアリーブランドの広報部で働くチャンスを得ます。煌びやかなランウェイの裏側で、私は初めて「ラグジュアリーとは何か」を体感することになりました。

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パリで運命に導かれ、
帰国後2001年に マダム麗奈を創業

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ある晩、パリ中心部のリヴォリ通りの小さな古書店に足を踏み入れた私は、一冊の本に出会います。それが、クロードの告白手帳『Madam』でした。まるで運命に導かれるように、その本を手に取り、ページをめくった瞬間、私は世界が揺れ動くほどの強い直感に襲われたのです。

戦後の混乱の中、たった一人の女性が、美と知性、そして哲学を武器に築き上げた高級売春組織。彼女、マダム・クロードは、フランス中の社交界、政財界を相手に、唯一無二の帝国を作り上げました。「人がお金を払うものは、食事とセックスだけ」という彼女の言葉は、あまりに鮮烈で、本能に響く真実を突いていました。

私は震える手でその本を読み終えたとき、心に決めました。――私もまた、この人生を懸けて、美と欲望の哲学を追求しよう、と。

日本に帰国した私は、すぐに準備を始めました。右も左もわからない中、ひとつひとつ積み重ね、2001年「マダム麗奈」を創業しました。名刺にその名を刻んだときのあの感触、今でも指先に残っています。

ただの性風俗店ではない。表面をなぞるようなサービスでもない。私が目指したのは、まるで芸術のように女性が自分自身の価値を知ること。そして誇りを持ち、ひとつの“美しい物語”としてお客様の記憶に残るような体験を提供することでした。

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厳しい現実もありました。社会の偏見、業界の既存の常識、時には裏切りや誹謗中傷。しかし、そのすべてを燃料にして、私は「美とは何か」「女の生き様とは何か」を問い続けてきました。どんなに時代が変わっても、人の欲望に美を添えることで唯一無二の価値が生まれると信じてきたからです。

そんな信念はいつしか、「多くの女性たちが私のもとで新しい人生を切り拓く」という結果を生みました。自分の人生を、自分の手で美しく築くという覚悟を持ち。それを支えることが私の使命であり、誇りです。

私の旅は、まだ続いています。美と感性とそしてほんの少しの狂気を持って、私はこれからも自分の道を歩んでいきます。そしてこれからも、「多くの女性たちが自分の人生を輝かせる」ための手助けをしていきたい。矢澤麗奈という一人の女の物語が、誰かの心に灯をともすことができたなら――それが、私の本望です。

矢澤麗奈サイン

矢澤麗奈憧れた 「マダム・クロード」 美しき人生

Legacy of Madam Rena

スポットライトの下で輝く、
主役はあなたです

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マダム麗奈がなぜ、他店舗とは違うのか? なぜ最も長い歴史を持ち、業界ナンバー1であり続けられるのか? それは根本的な考え方、取り組み方の違いだと考えています。

我々がマダム麗奈という舞台を用意し、お客様は高額な料金をお支払いしてその舞台を観覧しにきます。その舞台でスポットライトを浴びて輝くのは、あなた自身なのです。

素行が悪く品性に欠け、身なりさえ整わないような方々…そんなお客様は「その舞台に相応しくない」と判断せれチケットを買うことができません。また、上演中にマナーの悪いお客様がいれば、理由を問わず退館して頂きます。

我々は創業当時より、女性主体の営業を一番に心がけてきました。それが、多くの富裕層の会員様に愛され続けた所以なのでしょう。

マダム麗奈の原点、
「マダム・クロード」という人物

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1960~70年代のパリ。功成り名を遂げた政治家や実業家たちの間で、こんな話が囁かれていました。

「パリの一流ホテルから、上品なメイクアップをし、シャネルの5番と歯磨きの香りをさせた一分の隙もない美しい女性があらわれ、貴方のことを見下ろすような仕草をしたら..それは間違いなくマダム・クロードの娘だと思って間違いない。」世界中の社交界にその名をとどろかせたマダム・クロードこと、クロー ド・グリュデ。一国の国王や大統領たちを顧客として魅了し続けた、高級娼館の女主人です。

彼女は、娼婦たちを安価な存在ではなく、一流の貴族たちを手玉に取れるほどの女性に仕立て上げます。そして、その価値に見合った高額な料金を頂くという価値観を社交界に提案し、それが見事に受け入れられました。

日本の成功者たちにも、
優雅なアフター6を

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先のストーリーにもある通り、マダム・クロードのコンセプトに感銘を受けた矢澤麗奈は2001年にマダム麗奈をオープンしました。

その業態は大変にラグジュアリー。風俗と呼ばれ、陰湿で虚しいイメージだった業界に一石を投じたのです。

まだ、高級店という概念自体がなかった当時、その常識を覆す価格とコンセプトは同業者からは冷ややかな目で見られたものです。

しかし蓋を開けてみれば・・その価値観に共感した女性や、お客様方から絶大な支持を得て、あっという間に日本の上流階級にその名が知られる有名店となったのです。

結果としてアフター6の遊び方を知らない日本人男性に、ハイクラスの遊び方を提案する形となりました。業界のイメージを根本から覆すマダム麗奈の在り方を示し、それが受け入れられたのです。

継承し続けられる伝統は、
さらなる高みへ

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私たちは伝統を守り続けることだけがサービスの神髄とは考えておりません。「麗奈レディたちの声」を聴き続け、そこにあるヒントやきっかけを逃さずに、さらなる高みに向かって精進していく所存です。

お仕事に向かう女性が不安やストレスを抱えることなく、優雅に稼げるようにと願って、その声に耳を傾け続けます。

これからマダム麗奈に入店して頂ける予定の皆さまへ。

麗奈レディとは、俗に言われる風俗嬢とは一線を画する存在です。その美貌や美しき内面を以て、胸を張ってお仕事へ向かってください。あなたには「会員様から頂く高額なご料金以上の価値」があるということを信じ続けてください。

そしてその自分自身の本当の価値に磨きをかけて、マダム麗奈で開花させましょう。

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